血を吐いても、地を這っても、楽器とペンは放さない

病床ミュージシャン花月龍生が立ち上げた音楽プロジェクト「サンダーソニア」…果たしてその行く末は…

お涙頂戴プロジェクト?

サンダーソニアは「お涙頂戴?」

花月の身体的状況をサイトに載せたことを考えれば

「サンダーソニアは”お涙頂戴プロジェクト”なのでは?」

という印象を受けられるかもしれません。花月自身、今まで生きてきた中で

「同情」という色眼鏡も

「同情されたいの?」という色眼鏡も

うんざりするほど経験してきました。

そういう、自分側に流れてくる事柄は極力フラットな態度で受け止めるようにしていますが
花月自身のほうから流れ出る「アウトプット」は取り繕いようがないのです。

目の前で倒れたことをなかったことにするとか
血を吐いて「大丈夫、大丈夫」と言ったって通用しないのです。

皮肉にも、このプロジェクトを実行しようという考えに至ったのも
「病気に立ち向かう強い青年がいる」的な扱いで新聞記事、地方ニュース、
全国ネット、という流れで応援して下さった方々が沢山現れたからです。

(誤解を招く表現かもしれませんがメディア関係者各位には本当に感謝しています)

矛盾していますよね。

しかし

花月はただの人間です。病気に「立ち向かって」などいません。ただ「耐えてる」だけです。

本来「立ち向かう」や「頑張っている」という表現は

「逃げ出そうと思えば逃げ出せる状況から逃げない人間」

に使われる表現だと思っています。

手を抜ける時は抜きます。美談なんてないです。
前記のように自分の身体状況を(結果的に)利用するときすらあります。

脱線してしまいました。失礼しました。
お伝えしたいことを要約するとこうです

「サンダーソニアはお涙頂戴が目的か?」

「いいえ、断じて違います」

と言いたいのですが、実際のところその疑問に対して花月は

「それは全て受け手の印象次第です。否定も肯定もしません。
そもそもこちら側に否定、肯定権などないのです。」

としか答えようがないのです。

ではなぜ身体状況を載せたのか?

これは長くなるのですが

このプロジェクトに至った経緯の中の端的事実であり
知っていて頂かないと後々支障をきたすことを回避するための自己紹介でしかありません。

具体的に述べれば

  • 「緊急入院時に連絡がとれない」
  • 「日にちを決めてのライブ・手売り等の実働活動が難しい」
  • 「花月の状況によってはプロジェクト自体の一時機能完全停止」

などが考えられるためです。
もっと簡単にいうと、近視の人が

「今日コンタクトつけてないし眼鏡も持ってきてないから運転できないわ。ごめん」

と先に言っておくという感覚に近いです。花月自身にとっては。

とにかく

「音楽」「ビジネス」というものが「頑張っているから」では
全く通用しない世界だということは重々承知しております。

花月の作品が「純粋に世間に通用しなければ」あっと言う間に淘汰されるでしょう。

このページを最後まで読んでいただきありがとうございました。

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